後からならなんとでもいえる
批判、はげましなんとでもいえる。
自分をよくみせようとしている人、わかる人にはわかる。
「くそだなお前」誹謗中傷、「あいつら許さない」相手を思いやってたぞ風
2つの言葉は全く違っていて、似ている。
あとからなら何とでもいえる。
許さないといっている人は、なぜその瞬間助けてあげなかったのか。
力がなかったから、やる気がなかったから、本当にその人を見ていなかったから、
そうじゃないかもしれない、でもそうなのかもしれない
本当にすべきことはその人を本当の意味でみてあげることではなかったのか。
こういう立場のオレでさえなんとでもいえる。
でも俺には力がなかった、機会がなかったから助けることができなかった。
ああすれば、よかった。ああすれば、助けてあげることができた。
それって結局、ああできなかったから、できなかっただけ。
人を批難する前に自分にきかなければいけないことってたくさんある。
過ちは返ってこない。だから、今できることをやろうか。
零れ落ちてしまってから遅すぎるのだ。
訂正をしよう。
「あいつら許さない」
その時に言って行動を起こし、誰かのためになっているのならばすばらしい言葉だ。
ヒーローはそう言って、自分を犠牲にして助けている。
自分の価値をあげるだけの「あいつら許さない」は許さない